東京工科大学 コンピュータサイエンス学部 細野 繁
*(編集注記)本稿は、2023学会大会WS「社会情報サミット」でご報告いただいた、社会情報領域における教育実践について、2024年度「社会情報専攻」を開設された東京工科大学コンピュータサイエンス学部の細野先生に、「社会情報学への招待」として、その開設趣旨を改めてご寄稿いただいたものです。
ICTが提供する価値の変遷
ソフトウェア工学の誕生は1968年,パーソナルコンピュータの登場は1975年と言われる.それ以来,ICT(Information and Communication Technology)の発展は目覚ましく,今日私たちの日常生活に深く関わっている.これまで,ICTはその発展過程において社会に様々なイノベーションと価値をもたらしてきた.この50年余りの発展過程を三つの段階で捉えてみたい.
第一の段階として,ICTの導入は生産性の向上をもたらしてきた.ハードウェアだけでなくソフトウェアもパッケージ化された製品として販売され,これらをインテグレーションすることで経営情報システムなどの開発が進んだ.ユーザは,データの集計作業や分析業務をこれらの情報システムで代替し,その価値(交換価値)を得てきた.
ICT利用の第二段階は,クラウドコンピューティングの発展と普及により,大規模な計算機資源を擁するクラウド上で様々なサービス事業者とユーザとの共創を促し,新たな連携や協働を促してきた.例えば,GAFAM(Google,Apple,facebook,Amazon,Microsoft)は,クラウドサービスや電子商取引サービス,SNSを提供し,そこで交換されるデータを大量に集積・分析しマーケティングに活用してきた.ユーザは,計算機資源を自身で「所有」しなくとも,サブスクリプションサービスを必要に応じて「利用」して,ICTの価値(利用価値)を享受してきた.
そして,現在,あらゆる分野でデジタル化が進み,IoT(Internet of Things)やAIを活用して,自分にとって社会にとってより良い環境を目指す,ICT活用の第三段階が広がりつつある.例えば,オフィスではICTによるリモートワーク環境を導入し,社員がワークライフバランスを実践する.工場ではIoTデバイスを導入し,熟練者の勘と経験に基づく分析作業に代わるセンシングデータ分析処理により,残業を減らし生活時間を増やしている.さらにICTを駆使し人・モノ・組織・地域などを「つなげる」ことで,少子高齢化,地方の過疎化,貧富の格差など多様化な社会課題に対して解決策を見出している.ここでのICTは,特定の分野,組織内に閉じて部分的に最適化されていたシステムや制度などを社会全体にとって最適なものへ変貌させ,様々なステークホルダが共生する社会の実現に貢献するものである.ICT活用の指針は,提供者・ユーザ・それを取り巻くの関係性から得られる価値(文脈価値)の創造にあり,各ステークホルダのウェルビーイングを高めることにある.
共生社会に資する社会情報学を目指して
東京工科大学コンピュータサイエンス学部では,このようなICTを活かし共生社会に資する人材育成に向けて,2024年度に社会情報専攻を設置し,①ビジネス変革,②ビジネスサイエンス,③デジタルトラスト,④プロジェクトマネジメントの4領域から教育研究に取り組んでいる.
「ビジネス変革」は,ビッグデータをAIやIoTといったICTと組み合わせることで,新しいビジネスを考え,今あるビジネスの仕組みをより良くすることを追求する.デジタル化されたデータを用いて従来のビジネスを如何に新しいビジネスモデルへ変革していくのか考えられる力を育成する.
「ビジネスサイエンス」は,データサイエンスと進化の著しい機械学習・深層学習に基づくAI技術を駆使してデータを分析し,ビジネスの改善と変革の根拠を科学的に示す.医療・ヘルスケア,金融,農業など幅広い業界・業態のビジネスの仕組みを学ぶと同時に,その業種・業務データの分析を通した新たな発見により,ビジネス課題を解決し得るデータサイエンティスを追求する.
「デジタルトラスト」は,デジタル社会における安心・安全・信用の確保と実現を追求する.急速なデジタル化は,シナプスのようにつながっていくモノ・ヒト・データをどのように信用保証するかが課題である.現在,中央集権型であるWeb2.0の情報システムから,分散かつ自己主権型であるWeb3パラダイムへ進みつつあり,従来のサーバ群をブロックチェーンの応用で置換するなど次世代コンピューティングの模索が続いている.このようなICT環境の革新を捉え,ネット上のつながりやデータ交換・取引などから社会に受容されるトラストをモデル化し,実用可能なレベルまで引き上げる力を育成する.
「プロジェクトマネジメント」は,サービスや情報システムの開発プロセスを如何に効率的,効果的に行うかを追求する.例えば,企業の開発プロジェクトにおいて,ICTを用いた開発・運用を行う際,チームを組織し,各組織のメンバが開発や運用作業を分担し,目標に向かって率いる役割が必要になる.そこで,プロジェクト,プログラム,プロダクトという組織マネジメントの範囲の違いを理解し,プロジェクト実習での実践を通じて戦略的な意思決定と組織を束ねる力を育成する.
イノベーションを担う人材は,業種に関わらず社会システムの課題を見極め,全てのステークホルダの便益を最大化する仕組みを考案し,それを維持していく能力とスキルを備える必要がある.それには,新規ICTと既存ICTを幾つも組み合わせてシステムをデザインしたり,システム全体の安全性や信頼性を保証したりする力量が求められる.また,あるシステムを社会実装する際,他のICTシステムや社会システムへ負の影響を与えないようデザインする技量も求められる.社会情報学を学ぶ学生には,これらの高い次元の能力を獲得し,社会を変革するDXエンジニア,データから価値を創出しビジネス課題を解くデータサイエンティスト,ビジネスを分析し改善を図るITコンサルタント,新たなサービス開発をリードするプロジェクトマネージャといった,現代の共生社会に資するスペシャリストして活躍されることを期待している.