中央大学文学部社会情報学専攻の三十余年

中央大学文学部社会情報学専攻 辻 泉

*(編集注記)本稿は、2023学会大会WS「社会情報サミット」でご報告いただいた、社会情報学領域の制度化に関連し、1990年に「文学部社会情報学コース」が開設され、日本における社会情報学制度化の先駆である中央大学文学部での社会情報学領域の沿革、現状について、「社会情報学への招待」として、辻泉先生にご紹介いただきます。

はじめに

 中央大学文学部社会情報学専攻は、社会情報学に関する日本で最古の専攻の一つであるといわれ、その始まりは1990年に開設された「文学部社会情報学コース」にまでさかのぼる。

 そうした故もあって、立教大学で行われた2023年度社会情報学会大会における「WS5 社会情報サミット」にお招きいただくこととなったため、ここでは当日お話しした内容に触れつつ、WSの様子についても紹介していくこととする。

1.本専攻の沿革

 まずは本専攻の沿革から振り返ってみたい。私事で恐縮だが、スタートしたころ、私自身はまだ専攻のスタッフではなかったばかりか、中学生であった。そのため残された資料をもとに辿ることとする。少々長くなるが、『中央大学 文学部の五十年』から引用してみると、開設当初の目的は以下のようなものであったらしい。

社会情報学は近年確立された新しいディシプリンであり、これは21世紀へ向けての社会科学の新たな挑戦の一つである。・・・その特色は、社会情報学を一つのディシプリンと捉え、人間社会を情報学とプログラム科学の視点から研究していく点にある。社会情報学の基礎理論、マスコミ研究、コンピュータ・データ解析、図書館情報学(記録情報学)、マルチメディア研究、インターネット・コミュニケーション研究、など、多彩な視点から現代社会とその未来を見つめていく専攻である。

(中央大学文学部編2001『中央大学 文学部の五十年』p126)

 重要なのは、「多彩な視点から現代社会とその未来を見つめていく」とあるように、学際性を謳いつつ、それと同時に「社会情報学を一つのディシプリンと捉え」ようとしていることだろう。そのように、いうなれば多様な広がりを持った遠心性と、その一方で一つのディシプリンたらんとする求心性とが、同時に存在するところに、社会情報学の大きな特徴がある。この点は今日でも変わっていないし、それが大きな魅力にもなり、またなにがしかの困難につながっているようにも思われる。

 さて多彩な視点とはいっても、本専攻には大きく2つの柱が存在している。これも『中央大学 文学部の五十年』から引用してみると、以下のように記されている。

 社会情報学コースは、中がさらに2つの専修(情報コミュニケーション専修、図書館情報学[記録情報学]専修)に分れている。・・・情報コミュニケーション専修では、高度情報社会に対応できる学生の育成を目指している。・・・図書館情報学(記録情報学)専修は、ライブラリアン(司書)・サーチャー・情報管理技術者といった、スペシャリストを養成する実学コースである。

(前掲書p126)

 なお、2006年4月以降において、中央大学文学部は、学部全体を1学科にまとめて、13専攻からなる体制に改組したため、現在では、上記の引用における専修が“コース”に、コースが“専攻”になっている。だがいずれにせよ、幅広く情報社会の論点を扱う情報コミュニケーションコースと、スペシャリスト養成の実学的な図書館情報学コースの二本柱からなる体制である点は、今日でも本専攻の特徴となっている。

 なお、スタッフの配置という点については、1990年の開設時点では、今圓子(図書館情報学)、林茂樹(マスコミ論、社会心理学)、宮野勝(コンピュータ・データ解析、社会統計学)のわずか3名であったものが、翌1991年に斉藤孝(記録情報学、プログラム言語、マルチメディア論)が、さらに1992年には東大を退官した吉田民人(社会情報学基礎理論)が着任し、予定していたカリキュラムの全てがそろうこととなった。

 後に林氏から直接聞いたところでは、本専攻の開設を構想するにあたって吉田氏の理論に影響された点は大きかったといい、東大を退官する際、公式/非公式あわせて数十もの大学から招聘があったものと思われるが、「お声がけ」が最初であったことで、本学への着任に至ったのだという。

 そして1997年には早川善治郎(マスコミ研究、メディア・コミュニケーション論)が着任し、それと前後して、1995年には大学院修士課程、1997年に同博士課程が設置されることとなり、学部定員も、1998年には当初の70名から80名に増員され、ほぼ今日と同様の体制が整うこととなったのである。

2.本専攻の現状

 続いて、近年の本専攻をめぐる状況について記してみたい。本学文学部の中では、相対的に新しい専攻であり、これまでカリキュラムを大きく見直すことはあまりなされてこなかった。だが、2021年度にカリキュラム改訂を行ったので、その骨子について紹介させていただきたい。

 全体的には、目標として「情報化社会を生き抜く市民の育成」を掲げることとし、そのもとで、やや個別に独立しがちであった、先の二つのコースのリンクを強めることとした。

 例えば、近年のデータサイエンスへの注目もあり、図書館情報学コースも含めた専攻全体で、社会調査に関する科目を必修としたことや、先ほどの遠心性との関連で、多様なテーマに関する概説的な科目が多かったのを一部整理し、その代わりに、初年次向けの基礎科目と3年次以上向けの応用科目を充実させたことなどが挙げられよう。具体的には、初年次向けには、基礎演習クラスを増設し、また両コースの学生を混ぜ合わせることで、より少人数で視野の広い教育ができるようになり、一方で、3年次以上向けには「フロンティア科目」を設置し、大学院進学を見据えたり、より実践的な内容を、これまた少人数で掘り下げて学べるようにした。

 こうした点では、どちらかといえば遠心性よりは求心性が高まり、現在でも文理融合を謳っているが、開設当初よりは科目群がやや文系寄りにシフトしたかもしれない。これは、置かれているのが文学部の中であることに起因する点もあるかもしれないが、それ以外には、学校司書の養成プログラムを開始するなど、実学的な要素も強化した。

3.その他、当日のシンポジウムの様子など

 こうした本専攻の沿革と現状を踏まえ、私自身が報告の最後に問題提起したのは、大きく分けて以下の2点であった。

 一つには、上記した通り、社会情報学という学問が有する遠心性と求心性の問題であり、学際的な領域であることと、一つのディシプリンであることのバランスをどう考えるか、という点である。もう一つには、これとも関連して、本専攻が開設されてから30年以上が経ち、現在では社会情報学を謳う学部や専攻は大幅に増加しているが、その中で例えば本専攻のような文系学部の中の専攻、あるいは理系学部の中の専攻は、どのように位置づけを考えていくべきなのか、という点である。これらの点は本学会のありようを考えていくこととも関連してこよう。

 当日のシンポジウムでは、本専攻を含めて、5つの専攻・学科・研究室などを代表する先生方が集まって報告と議論がなされたが、おおむね焦点はこうした点に当てられていたように思う。

 例えば、理系学部の中で、かなり実学的な要素を強く持ちながらも、やや文系的な要素を取り入れて作られたケースもあったり、あるいは既存の複数学部を横断的に束ねていく、オルタナティブな新組織として作られたケースもあったりするなど、本専攻とは違った開設の経緯がどれも興味深く感じられた。

 そして、コメンテーターの河又貴洋氏(長崎県立大)も述べていたように、梅棹忠夫が「情報産業論」を記したのが1962年であり、このことに鑑みれば、情報社会論はすでに60年以上の歴史を持つことになり、もはや新しい学問というよりは、次世代へ向けてどのような議論を残していくことが肝要であるかを、考えるべきタイミングに来ているともいえるのだろう。

 さすれば、ここで述べてきた遠心性と求心性の「バランスの取り方」に、それぞれの大学の社会情報学の特徴が表れてくるのだろうし、そうしたバランスを取るための場として、すなわち遠心性と求心性をマージする場として、それぞれの大学、あるいは本学会が果たしていく役割がますます重要になってくるのだろう。

 普段、あまり考えも至らないような重要な視点への気づきとなるような貴重な機会をいただいたことにお礼を申し上げつつ、この文章を締めくくりたいと思う。どうもありがとうございました。