「情報環境激変」雑感

東京大学名誉教授 橋元良明

 私の研究歴において、ケーブルテレビの発展にはじまり、ケータイ、インターネットの普及と,絶えず「情報環境の激変期」と言われ続けてきた。その恩恵でこれまで禄を食んで来られたところもあるが、年々老化が進み、いよいよその歩みについて行けないようになってきたせいか、ここ5年ばかりの状況変化は自分の想像を絶するものがある。

 たとえば、2022年11月30日のChatGPT-3.5の無料公開。それまでもAI、AIと言われ続けていたが、しょせん電脳技術の一端で、シンギュラリティなどというのは科研費獲得のためのおまじない程度にしか思っていなかったのだが、実際にいじってみて想定外の心理的ダメージを受けた。そこから誤謬を誘導する質問を考えるのは、まださほど難しくはないが、日常生活における疑問にはあらかた正確に答えてくれるし、何より孤独な老人の話し相手が十分務まる。まだまだ発展途上というから、本当に数年後には大学の教員などは、知識の伝達以外に芸のある一部の例外を除けば産業廃棄物になるだろう(既に私がそうである)。学習対象のデータベースとして日本語はまだ量的に不十分とも思われるのに、確かにその日本語は大学生の平均レベルを超えている。学生のレポートを見ても、最近では、この日本語はおかしいから本人が書いたに違いないと思ったりもするようになった。DeepLその他の翻訳アプリも、数年前まではしょせん機械翻訳、と馬鹿にしていたが、最近のレベルは、ネイティブの高校生に頼むよりできばえのいい英文を打ち出してくれたりもする。

 私が調査にかかわっている情報行動にしても、ここ数年でその量的変化は一段と加速の度合いを速めている。2024年6月に発表した総務省と我々の共同研究成果「令和5年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によれば、10代のリアルタイムテレビ視聴の平日1日平均時間は39.2分に過ぎず、ネット利用は257.8分に達した。この調査を始めた2012年の数値はそれぞれ102.7分、108.9分であり、当時「ネットがテレビを凌駕した」というのがプレスリリースのアピールポイントであった。この間、テレビの視聴時間は62%減少し、ネットの利用時間は137%増加したことになる。そもそも今のアルファ世代では、テレビ受信機の位置づけもかつてと大きく異なってきている。2023年に電通と橋元が実施した共同研究(調査対象は0歳から12歳までの子を持つ母親、N=2600)によれば、3歳から9歳までいずれの年齢でも,テレビ受信機の利用形態でもっとも多いのは、YouTubeや配信動画(Netflixなど)を含めた「ネット動画サービス」の利用であり、その利用率は50%を超え、「テレビ番組の視聴」を凌駕しているのである。アルファ世代にとって、テレビ受信機は、スマホや タブレットと同様に、配信動画視聴デバイスの選択肢の一つにすぎなくなった。

 総務省との2023年調査によれば、いわゆるSNS系アプリでは、連絡ツールとしてスマホのデフォルト化しているLINEを除けば、10代でInstagramが利用率72.9%で他を圧倒している。その利用形態の中心は、リールやストーリーズ等の動画映像の視聴である。若者は、最長の利用メディアであるネットで、ほとんどの時間、配信動画やゲームも含め,動く画を見ていることになる。娯楽の世界ではとっくの昔に動画コンテンツがその中心になっているが、いまやコミュニケーションの領域においても「文字の文化」は消えかかろうとしている。オング先生もきっと草葉の陰で,もう一冊本を書き忘れたことを悔しがっているだろう。

 人の視神経は、質・量ともに他の感覚器の神経に対して圧倒的優位性をもっている。また、視覚情報処理にかかわる大脳のエフォート量を考えれば、人間が生物学的に完全に視覚動物であるのは議論の余地がない。ヒトという種のコミュニケーションにおいて、長きにわたって音声信号が中心であったのは、生存において大して重要でもないコミュニケーション活動に割く消費エネルギー量が少なくて済み、夜間でも使えることや、実用的な視覚記号の伝達ツールを発明するまでに時間がかかったからにすぎない。文字は視覚記号であるが、単に声を視覚化したものに過ぎず、目にした視覚情報を写像変換する記号ではない。人類はその後、写真、キネトスコープ、テレビと、次々と視覚系メディアを発展させた。ネットというプラットフォームと影像記号の伝達技術が合体したところで、動画の授受が情報行動の圧倒的中心になったのは、本性への回帰という意味で必然である。

 こうした現象を可能にしたのは、言うまでもなく、モバイル性,多機能性、拡張性、自在性を備えたスマホの普及による。そのスマホも2007年のiPhone発売以来18年が経過した。それ以降、機能や形態面で、質的に飛躍的な進化は遂げていない。最近のメディアの発展速度からすれば、そろそろ新しいツールが出てきてもよさそうである。たとえば、スマートグラスのような形態で、脳を直接刺激して外部と交信できるようなデバイスなど、けっして夢物語ではない(Apple Vision Proなどはそれに一歩近づいたように思える)。それが生成AIと結びついたとき、その装着者は、もはやヒトではないのかもしれない。